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七夕の生まれ、意味を知ろう!

投稿日:2017年5月18日 更新日:

七夕の日

七夕は、7月7日に行なう星祭りです。
七夕の日は、一年に一度だけ
「おりひめ(織女 )」と「ひこぼし(牽牛)」が
天の川の上でデートをする日といわれ、
この日にちなんで、願い事を書いた短冊を笹の葉につるし、
おりひめ星に技芸の上達を願います。

七夕ことはじめ

「なぜ七夕が7月7日なのか」、
「いつから7月7日になったのか」という問題については、
実はよくわかっていません。
七夕の本家・中国では、漢代(~3世紀はじめ)の文献をみても、
7月7日に七夕行事を行なったという記述は見られません
(当時は、7月7日には曝書や曝衣をしたり、
薬丸を合わせたりしたそうです)。
3世紀頃(晋朝時代)になると、
「二人が7月7日に会う」と
具体的な日が書かれている文献が登場しますので、
この頃から一般的になってきたのかもしれません。。

旧暦の七夕

現在の暦では7月7日は梅雨の時季に当たっていて
星の見えない日が多いですが、
旧暦7月7日は天候の良い時季になることがわかります。
旧暦で7月は秋の季節であり、
七夕は秋の行事として位置付けられています。

七夕祭りは一年に3回

各地で七夕祭りが行なわれる日付を見ていると、
3種類あることに気づきます。
一つ は現在の暦の7月7日で、
二つめが旧暦の7月7日。
そして三つめが8月7日に行なわれるというもので、
有名な仙台の七夕祭りなどはこれが当たります。
仙台の七夕祭りのように、
現行太陽暦の日付の一ヶ月遅れでおこなう行事を
「月遅れの行事」といいます。
これは明治期に太陽暦への改暦が行われた時、
新暦でお祭りをすると余りにも行事本来の季節と
ズレてしまうことに対処するため、
1ヶ月遅れでお祭りをすることにしたのが始まりです。
旧暦の日付が新暦に対して平均で約1ヶ月遅れ
となることに着目したアイデアです。
これだと、旧暦の日付と大きくズレないため、
それぞれの行事が持つ本来の季節感との違和感が
緩和されるのが利点といえましょう。
七夕祭りの日付に3種類あるというのは格好の話のタネで、
「万一7月7日に雨が降 ったとしても、
織姫とひこ星は、あと2回デートのチャンスが
あるので大丈夫です。」 などと話ができますね。

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七夕伝説

ここで紹介するのは、
私たちが日ごろ耳にする七夕伝説です。
天帝の娘である織女は、機を織るのが仕事です。
しかし仕事ばかりする織女を心配した天帝は、
娘を天の川の向かい岸にいる牽牛と引き合わせました。
すると二人は恋に夢中になって
仕事を全くしなくなってしまいました。
それをみた天帝は怒り、二人を天の川の両岸に
引き離してしまいました。
二人の様子を哀れに思った天帝は、
一年に一度、7月7日の夜にだけ会うことを許しました。
しかし、7月7日に雨が降ると天の川の水が
増水してわたることができないので、
カササギが二人の橋渡しをします。

七夕伝説の成立とその発達

上記のような七夕伝説はすぐに成立したのではなく、
長い時間をかけて完成されました。
ここでは、洪淑苓著、『牛郎織女研究』(1989、学生書局)
の内容に従って、伝説の形成されていく過程を紹介します
(ただし本は中国語で書かれているため、
少々解釈に誤 りがあるかもしれませんので、ご了承下さい)。

胚胎期

七夕のお話はもともと中国のものです。
織女と牽牛という名前が初めて登場するのは
春秋戦国時代ころまでの詩を集めた
『詩経』国風編(孔子の編集といわれる)です。
しかし、そこには星の名称として「織女」、
「牽牛」とあるだけで、
二人の恋愛の話は全く見られません。

雛形期

また漢代の『史記』天官書には「牽牛為犠牲」、
「職女、天女孫也」という文がみられ、
伝説の片鱗がうかがわれます。
また、同じ漢代に編纂された『文選』中の
「古詩十九首( 古詩十九編とも)」には、
「二人が天の川の両岸に別離し、
話をすることができない」という文が見られる。

形成期

魏晋南北朝時代になると、
七夕伝説が次第に形成されていく。
『文選』曹植洛神賦の中にある李善の注によると、
「曹植九詠注」に牽牛は夫で織女は 妻であること、
織女と牽牛の星はそれぞれ銀河の傍らにあること、
1年に一度7月7日 に会う事などが書かれている。
また『荊楚歳時記』会引には、
「伝玄(217~278)の『擬 天問』には、
7月7日に牽牛と織女が天河で会う」と書かれている。
従って、3世紀の初 頭には二人が
7月7日に会うという話が次第に形成されてきた。
そして南北朝の梁時代(6世紀)に書かれた『荊楚歳時記』には、
これらの話がまとまって紹介されている。

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唐代以降

唐代頃になると、
カササギが橋の役割をして、
二人が会うのを手助けするという話が生まれ、
宋代に盛んになった。

以上のような過程をふんで、
徐々に成立していったようです。
ほかにも、民間故事の要素 なども入り、
現在のような形になったようで、
単純には語れないようです。
また細かい議論がありますが、
とりあえず概略の紹介にとどめておきます。

乞巧奠(きこうでん)

乞巧奠は、古代中国での宮廷行事で、
7月7日の夜に織女星をながめ祭壇に針などを供えて
技芸の上達を願うというものです。
その歴史について上記『牛郎織女研究』では、
晋王朝の頃は星をながめてお願いをする ものの、
願い事の内容は富や幸福、子孫繁栄など多様であった。
そののち、南北朝の宋時 代頃に針を穿つ風習が始まり、
星をながめて技芸の上達を乞う(乞巧)ような形が定まったのは
梁王朝の頃であると述べています。
日本でも乞巧奠は宮廷行事として伝えられました。
江戸時代に書かれた『銀河草紙』には、
『公事根元』という宮廷行事に関する室町期の書物の記述に基づいて、
「御殿の庭に 机を四脚立てて、灯台九本、おのおの灯あり。
机の上に色々の物据えたり。
筝の琴、琴柱 を立ててこれを置く。
…夜もすがら焚物あり。
たらいに水を入れて大空の星をうつす…」
と書かれています。

日本の七夕祭りの由来

日本の七夕の起源は、
乞巧奠だけではありません。
日本では、毎年7月7日に「棚機女(タナバタツメ)」
という巫女が水辺で神の降臨を待つ
という民間信仰とむすびついた行事があります。
日本の七夕は、この「タナバタツメ」と、
中国の乞巧奠とが合体したものだという説が有力です。
ちなみに乞巧奠は、
平安時代の貴族たちが中国の風習を真似て導入していたようで、
その後乞巧奠が民間に流れていき、
次第に「タナバタツメ」と合わさっていったのでしょう。

民俗調査などでは、
七夕がお盆(旧7月15日)を迎えるための
準備としての意味をもつ (七夕盆)場合や、
農業の豊作を願う意味で行う場合など、
様々な意味合いを持っている場合があります。
これは後世になって民間のいろんな行事と混ざり合っていて、
出来上 がったものだと思われます。

七夕人形のこと

地方によっては、
七夕飾りとして人形を吊るす風習があります。
これは、かつては 各地方で行なわれていたようですが、
現在は長野県松本市周辺と、
兵庫県姫路市東部 などわずかに残っているだけです。
姫路の七夕人形については、
地元の方からお話を聞き、七夕人形を入手しました。

姫路市東部の七夕は、月遅れの8月6日の夜に行なわれ、
各家では6日の夜に七夕飾りを軒下に出し、翌7日の朝に終えます。
お祭りの準備は、まず2本の笹を立て、その間を細い竹でつなぎ、
そこに七夕人形や他のさまざまな飾りを吊るします。
その下には縁台を出し、お神酒や季節の果物などをお供えします。
また、子どもが生まれた家では、
子どもの名前と「天の川」とか
「星まつり」という文字を書いた提灯も出されます。
さらに面白い事に、きゅうりで作った馬や、盆灯篭
(ただし書かれている絵はお盆の時のものとは違うとのこと)
も飾りますから、七夕盆の タイプに分類できるようです。
そして7日の朝になると、
飾りをつぶして川に流し、七夕祭りは終わります。

さて、注目の七夕人形は紙製で、
和紙や千代紙などを切って着物の形に作ったもので、
素朴な形をしています(写真参照)。
この人形は七夕祭りが終わっても捨てずに保存し、
次の年にまた使うそうです。
人形を吊るす理由については、
聞いた限りではわかりませんでしたが、
人形を飾る風習自体はずいぶん古くからあるという事なので、
もしかしたら理由は忘れられたのかもしれません。
このように、この地域の七夕祭りはユニークなものですが、
最近は学校などは新暦でお 祭りをする事や、
少子化という理由などから、
昔ほどは盛んに行なわれる事は無くなったそうです。
また、8月7日に近い土曜日や日曜日の昼間に、
自治会の行事として一括して 行なっている地区もあるようです。
また、七夕飾りの処理についても、
昔は川に流していたが最近はゴミ問題の理由から
普通のゴミとして処理しているという事でした。
ちなみに、この地域の七夕風習が広く紹介されたのは、
1970年代の頃です。
なんせ七夕 飾りは6日の夜に出し、
翌7日の朝には流してしまうという短時間の行事のため、
全く知られていなかったそうです。

まとめ

おりひめ星は、こと座のベガという名前で0等星です。
地球からの距離は25光年。
一方のひこ星は、わし座のアルタイルで1等星で、
地球からの距離は17光年。
この二つの星の間の距離は約16光年あり、
光(秒速30万km)で走っても16年かかります。
残念ながら、1年に1度のデートは無理ということになります。

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